今回は、パソコンゲームの“事始め”について、いろいろと検証してみたいと思います。一般的なことだけでなく、FMシリーズとも絡めて進めていくつもりです。
まず、世界最初のコンピューターゲームというと、ウィリー・ヒギンボーサム(Willy Higinbotham)が1958年に作ったテニスゲームや、スティーヴ・ラッセル(Steve Russel)が1962年に作った「Space War」というのが定説のようです。
では、FMシリーズで出た最初のゲームはなんなのでしょう? これは、実ははっきりとはわかりません。本サイトの制作にあたって、FM-8発売直後あたりから当時の雑誌を調査しましたが、その頃は『○月○日発売』と明示する習慣がなく、各ソフトハウスが好き勝手に発売していたという状況でしたので、その中から特定するのは非常に困難です。
調査中に私が雑誌の広告上で初めて目にしたFM-8用のゲームは、九十九電機とハドソンのものでした。確か、ほぼ同時期だったと思います。そして両社とも、複数のゲームを(3~5本ほど)ラインアップに載せていました。したがって、この両社の最初のほうの作品のどれかがFMシリーズ最初のゲームソフトの有力候補だとはいえるでしょう。
世界初のアドヴェンチャーゲームはウィリアム・クローサー(William Crowther)とドナルド・ウッズ(Donald Woods)による1972年の「Adventure」、国産初は1982年の「表参道アドベンチャー」(アスキー)だというのは有名です。しかし「表参道アドベンチャー」はFMシリーズでは発表されませんでした。では、FMシリーズ最初のアドヴェンチャーゲームは?
これもはっきりしないのですが、「ミステリーハウスII」(マイクロキャビン/1982年)が最初ではないかと思います。国産初のグラフィックス付きアドヴェンチャーである「ミステリーハウス」ですが、FMではなぜか2作目が先に出たので、このような結果になりました。
アドヴェンチャーゲームは、文字だけの世界から、グラフィックスが付けられ、瞬間画面表示やアニメーション処理がなされるなど、技術的な面で大きく進化していきました。
瞬間画面表示の元祖はというと、一般的には「デーモンズリング」(日本ファルコム/1984年)と思われている節がありますが(日本ファルコムのオフィシャルサイトにもそう書いてあります)、ほぼ同時期に発売された「ミコとアケミのジャングルアドベンチャー」(システムソフト)も瞬間表示を実現しており、さらに同社がそれ以前に発売した「ミオのミステリーアドベンチャー」(1983年)で、すでに瞬間表示が使われているということです。
しかし、さらにそれ以前の作品である、MZ-2000版「ドリームランド」(マイクロキャビン/1983年)が瞬間表示の可能性があるのです。実際にこの目で見たわけではないので断言はできないのですが、『ログイン』1983年8月号にこんな記述があります。
“グラフィックのスピードは超ド級! 巷のアドベンチャーにありがちなイライラはまったくない。これはライン&ペイント方式ではなく、ディスクから直接画面データを読み込んでいるため”
これは瞬間表示を暗示させる記述です。しかし、マイクロキャビンが広告中などでこの事実にまったく触れず、またMZ-2000版だということも災いしてか、ほとんど話題にはなりませんでした。
しかしMZ-2000はモノトーン表示のため、カラーである「デーモンズリング」や「ミコとアケミのジャングルアドベンチャー」と同列に扱っていいものかという問題があります。ですが、一応瞬間表示の元祖的存在といえるかもしれません。
なおもう1作、PC-6001版の「黄金の墓」(ストラットフォード・コンピューターセンター/1983年)についても、『ポプコム』1983年9月号に
“積み木を積むように画面ができる”
“新しい画面が下から上がってきて、古い画面を上へ追いやるような形で出てくる”
という記述があり、やはり瞬間表示を連想させます。ですがこれも、PC-6001の粗いグラフィックスだから実現可能だったという見方もできます。
こうなると、瞬間画面表示の定義がカラーや解像度にまで及び、なかなか結論が出せないことになってしまいますが、少なくとも「デーモンズリング」が元祖だと言い切ってしまうのはどうかと思います。
FMシリーズではと考えると、「ドリームランド」は移植されたもののライン&ペイントでしたし、「ミコとアケミのジャングルアドベンチャー」は移植されていません。では「デーモンズリング」になるかのと思いきや、「黄金の墓」のFM-7版(1983年)が瞬間表示を実現していました。しかもテープ版での話です。とはいえ、FM-7版もPC-6001版同様、粗いグラフィックスであり、そのために実現できたといえるでしょう。
アドヴェンチャーゲームの歴史には瞬間画面表示に加えて、もう一つエポックメイキングな出来事がありました。コマンド選択式の定着です。個人的にこのシステムは好きではありませんが、言葉探しをすることなく楽にゲームを進められるためか、あっという間にアドヴェンチャーの主流となり、コマンド入力式はほぼ絶滅してしまいました。
コマンド選択式を定着させたのは、堀井雄二氏の「オホーツクに消ゆ」(アスキー/1984年)で間違いないでしょうが、創始者というわけではありません。現に堀井氏自身が、『新しいものではありません』(『ログイン』1985年2月号)と書いています(推測ですが、堀井氏が選択式を採用したのは、apple IIの「Questron」(SSI)の影響があったかもしれません)。
では元祖はというと、これはなかなか特定できません。「オホーツクに消ゆ」以前のコマンド選択式というと、「トリダンタル」(パックスソフトニカ/1983年)、「熱海温泉アドベンチャー」(ベーシックシステム/1983年)、それからちょっと特殊な方式ですが、「惑星メフィウス」(T&Eソフト/1983年)、「女子寮パニック」(エニックス/1983年)などが挙げられますが、雑誌掲載作品でも採用しているものがあり(例えば『マイコン』1983年4月号掲載の「スパイ00.7」)、綿密に調査しないと一つに絞るのは無理でしょう。
世界初のロールプレイングゲーム(以下RPG)は、おそらく「Rogue」(1975年頃)で間違いないでしょうが、国産初というのはハッキリしていません。これは微妙な問題が絡んでいて、なかなか特定できないところがあります。
候補となるのは、光栄の「ドラゴン&プリンセス」(光栄/1982年)、「クフ王の秘密」(光栄/1983年)あたりだと思われますが、どうも純粋なRPGではないらしく(私は両者とも未プレイです)、シブサワ・コウ氏自身も『たしかに純粋な意味でのロールプレイングゲームではないかもしれません』(『ログイン』1983年8月号)と語っています。となると、『アスキー』1983年5月号に掲載された「アルフガルド」などが浮上してくるかもしれません。
この問題に関しては、RPGの定義というのをはっきりさせないと、なかなか解決には持っていけないと思います。
なお、国産初のRPGは「ザ・ブラックオニキス」(BPS)だという記述をたまに見かけますが、これは明らかに誤りです。以前、当のBPSが雑誌の広告でこのように誇示していたのには呆れてしまいました。
FMシリーズでは、光栄の2作、「アルフガルド」ともに発表されていますので、同じ結論ということになります。
ということですが、結局「ハッキリわからない」というものが多くなってしまいました。なお、もしデータの誤りや、事実と異なる部分がありましたらご指摘ください。